慣れることに慣れない
こういう仕事をしていると、慣れる、ということを無意識的にも避けているところがある。慣れてしまわないように、新鮮に驚いたりしつつ、それでも生活を淡々とこなしていけるようにする、ある種の分裂症的な多重人格を訓練しているようにも思える。でもそれは、きっと馴染みのないこと。こうやって慣れつづけられないことを、きちんと伝えるためにはどんな言葉がふさわしいのだろう?
日々のことを淡々とこなしていくのと、その時々の美味しいものや、新鮮な野菜の旨みをしみじみと味わうことのあいだに、何か隔たりがあると思えるのなら、何かが間違っているのじゃないか。その先にあるのはやはり、無関心と怠惰だ、とわたしは思っているのだけれど、五年、十年も経てば変わるのかもしれない、どうだろう。でもわたしの周りの友人たちはその新鮮な事柄にきちんと驚いたり悲しんだりしている(と思う)。
抱擁する[embracing]というのは、なにか複雑なものを受け止める行為だと書かれたりするが、いまのところ、わたしに起こっているのは、むしろ平坦にしたり少なくしたり、シンプルにしていくことだった。抱きしめることで、ふとした瞬間にバラバラになってしまいそうな多義性を食い止めること、と言いたい。