waxogawa
ことばを使って話すことは、当たり前のことではない。声が聞こえること、意味が共有されること、言葉が誰かへ届くこと。そのどれもが、いつもすでに、どこかで翻訳されそこない、聞き取られそこない、届きそこなっている。先天性両耳重度難聴と人工内耳装用の経験を背景に、ことばを透明な通路としてではなく、傷を受け、補綴され、遅延し、なおも発話へ向かおうとする器官として考えてみる。
他なる[other]制度や身体、記憶、想像力のあいだに、変換の条件をつくる実践としてのキュレーション。それは、一時的[temporal]な共同体[con-]である。そこで理論は、現実を美しく抽象化するためのものではない。私が人類学、フランス現代思想、フィクション理論を参照するのは、現実が単なる失敗、不運、孤独、障害、属性、制度的分類へと還元されてしまうことに抵抗するためである。概念は避難所ではなく、痛みや曖昧さを裏切らずに、それらを別の場所へ持ち運ぶための、危うい補綴器官になる。
そして、現代アートの「新しさ」や「政治性」は、どのような変換規則によって組織されるのか——参加、関係性、他者性、地域性、ケア、アクセシビリティといった語は、どのような条件のもとで批評性へ、政治性へ、あるいは市場のための身振りへと変換されるのか。その途中で、何が声を得て、何が沈黙させられるのか。こうした道筋で、展示企画、執筆、空間構成、グラフィックデザイン、タイポグラフィ、照明・什器設計を横断しつつ、壊れた生活のあとに、なお何を組み立てることができるのかを問う。
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