まずは書いてみること

まずは書いてみること、という言葉を思い出す。大江健三郎の最後の小説、『晩年様式集』に出てくる言葉だ。

父はしばらく前に癌で死んだ篁さんの脇に、近い将来こちらは「三・一一」での放射性物質の影響で死ぬのかも知れない自分を置いてみようとしたのだろう。 ——そんなことをして、何になる? といっても、小説を書く時、幾度も書き直すのに、自分にはまだよくわからないところをまず書いてみる人だから、と母はいった。(大江, p. 96, 傍点原文ママ)

ふと思う。日々のあらゆる不条理や、我慢しなければならないこと、さまざまのことに足を取られ、もたもたしているうちに時間が過ぎていくこと。その一つひとつに辛抱強く向き合うのではないやりかたで(という否定形でももちろんないのだけれど)、日々を生き延びていくこと。

この時点で、すでに考えなければならないことが二つある。一つは、「辛抱強く向き合うのではないやり方」、そして二つ目には、「日々を生き延びていくこと」だ。辛抱強く向き合う、とはどういうことだろう? 何気ない一言に傷ついた自分のその状況を何度も言葉やイメージで再演しては、何があり得たのだろうか、とか、他の言い方はなんだったのだろうか、とか、そうやって繰り返していくうちに慣れていくことだろうか。「慣れる」ために必要な繰り返しや時間、その度にまた傷つき直すその愚鈍さのことを「辛抱強い」というのだろうか? 大江の言葉を借りるなら、「ウダウダしている」ことになるだろうか? つまりは、そうでない、ということは、ウダウダせず、切り替え、慣れずにいる、ということなのだろうか? つまりは忘れる、ということへ?

他方にまだある。日々を生き延びていく、と書いたけれど、そこから「生き延びている」とは、あるいは別の言葉で言うなら、「脱出していく」とか「逃げ延びていく」ということだとすれば、それはいつどこで、どんな時点で、「生き延びた」と認識できるのだろうか? 私たちはいまもまだ、その混乱や傷のなかを生き続けているのじゃないか? 単に生き続けているだけであって、生き延びた、とは言えないのじゃないか? 傷は無くなるわけではない。

非対称性

Maria Puig de la Bellacasaという人の論文や、インタビューを改めて読んでいる。改めて、というほど時間が空いているわけではないけれど、論文の骨格ができた上で、もう一度、よりよい筋が見つからないだろうか、と思って読み直している。

私は、ケアの三つの次元(「情動的状態であり、物質的で生命維持的な行いであり、倫理的・政治的義務である(an affective state, a material vital doing, and an ethico-political obligation)」2011, p. 90)を一つに保つ概念および実践としての「ケア」の独自性を探究しました。それは、ケアが、愛や維持といった他の情動的・物質的関係との関係において何を含むのかを、切り離すことなく識別しようとする試みでした。私たちは、愛する対象をケアするための労働を行わずとも、強く愛することができます。また、情動的に関与することなく、他者を生かし、その生を持続させるために働くこともできます。 しかし、それでも近頃、私はこれらの次元のあいだに、強烈で痛みを伴う切断を感じています。 一方には、情動的関係としてのケアの大きさと、ますます増大する社会的・生態学的荒廃の前線に対して、一日のうちに感じうる倫理的・政治的感受性の大きさがあります。他方には、ケアを、深刻な危機にある世界を実際に維持し修復する労働へと翻訳することの困難があります。問題の巨大さと、日常的な行為主体性の取るに足りなさ……。これもまた、おそらく特権のケアレスネスです。すなわち、逆説的に良好な生活条件のなかで、過剰なまでの危機状態を生きることです。自らの身近な日常世界が、まだ完全には崩壊していない者たちの特権なのです。 だとすれば、おそらく今日、この引き裂きから生じる特有の形のケアレスネスがあります。どこからケアを実践し始めればよいのでしょうか。というのも、「自分自身を悩ませること」から成る、圧倒的なまでに多すぎるケアが進行しているのかもしれず、それに対する反応として、退却や拒絶――「なぜ私が気にかけなければならないのか」――が生じうるからです。

彼女がMatters of Careと呼ぶ概念は、ラトゥールのANTや、ヒラリー・ローズによるフェミニストSTS、ハラウェイのサイボーグなどに触発されながら組み上げてきたものだ。端的にいって、彼女は科学技術(テクノサイエンス)からなる事実構築、なにかの「ブレイクスルー」の発見とその応用、といった「科学的」な時間、事項について、「情動的」な側面を持ち込もうとしている。

質問者はこう問うている。

あなた自身、「批判的ケア(critical care)」について語り、また、ケアという概念における両義性をしばしば強調しています。すなわち、ケアは必要である一方で抑圧的でもあり、温かさを含意する一方で、非対称的な権力関係をも含意する、といったことです。

思考の二つの様態としての批判(批評)とケアの関係を、あなたは具体的にどのように捉えているのでしょうか。それらは相互に排他的なのでしょうか。それとも、手段と目的の関係にあるのでしょうか。あるいは、単純に比較不可能なものなのでしょうか。

私は、ケアとともに、またケアから思考することは、啓蒙された観察者であるという意味での「批判的距離」を許さない、と論じようとしてきました。実際、ケアの両義性は、ケアを特徴づける抑圧的な社会的期待や非対称的な社会関係と、ケアが含意する温かさや安らぎとのあいだの葛藤に、ある仕方で呼応しています。

ケアが、抑圧的な社会的愛着からの解放を保証しうるという直接的な期待はありません――標準的な啓蒙主義的立場であれば、そのような期待を抱くかもしれません。むしろ反対に、このようにケアを思考することは、私たちのケアする愛着が、非対称的な権力関係を再生産することと攪乱することの双方にどのように絡み合っているのかに対して、無垢ではない関与[non-innocent engagement]をいっそう強めることを、私たちに要求するのかもしれません。

おそらく、質問者の言おうとした「非対称な権力関係」は、より抽象的なレベルでの非対称性を含んでいるだろう、と思う。一方には科学的な事実の構築があり、他方には非合理的と(科学者からは)揶揄される、直感や慣習、神話や暗黙知がある。そもそも、こうした分割自体、ラトゥールも批判的に見ているところだが——この科学的な極を、情動性の持ち込みによって「批判的」に再構築できる、とするなら、それは少なからず「非対称」である。科学性と情動性は同一の尺度ではないし、一見して対照的であったとしても、科学的なネットワークと、情動的なネットワークは、同じ長さ/同じ太さにおいて、同様の効果をもたらすわけではないだろう。もちろん、これまで女性的、とみなされてきたプライベートな領域でのケアは、男性的、とみなされて来たラボラトリー領域での事実構築と、同じだけの時間を歩んできている。とはいえ、だからといって、ラボラトリーのネットワークを「情動性」によって辿り直すことで、非対称的に、批判的再構築がなされる、とするのはやや短絡的だろう。

だからこそ、ハラウェイを引きながら「無垢ではない関与」という側面を意識しているのだ、と思うが、とすれば、先に戻って、「辛抱強く向き合うのではないやりかたで(という否定形でももちろんないのだけれど)、日々を生き延びていくこと。」というのは、無垢ではない関与によって非対称的に逆行すること、だろうか?

もう少し言葉を続けてみる。つまり、対照的に向き合う、とするならば、私たちは、その加害者や(もちろん明確な加害/被害の構造がないこともある)、何気ない言葉を投げかけたその当の人(や、時間、その状況)と同じように向き合い、そして、それを思い出す、という場合においても、そのときと同じぐらい、経験しなければならない。相手が与えてきた暴力や支配的圧力と、その結果を分けながら(つまり因果関係を明確にして)、それと同じぐらいの力で、悲しんだり、苦しんだり、泣いたりしなければならない。

でも、そんなことを日々続けていたら、私たちの心や身体は生き延びていくことができない。生き続けることさえ。これだけの苦しみのあいだに、相手は今日もまた、誰かを苦しめているのだろう。

だからこそ、非対称的にやってみせることだ。もちろん、それが無垢ではないやり方[non-innocent engagement]であることを、私たちは知っている。無罪ではありえないやり方、だ。端的にいって、それが「書くこと」でさえある、と大江を読みながら思う。

とはいえ……まだ残っている。「生き延びていく」あるいは「生き続けていく」こと。非対称的なやり方で生きていく、というのは、つまり死に対して非対称に向き合うことだろうか? そんなことはない。遅かれ早かれ、私たちは死ななければならない。とすると、そうして生き延びていく、というのは偽善だろうか? むしろ、彼ら彼女らは、死に向かって真っ直ぐにいる。忘却と手を組んで、爆撃機のように進んでいく。それだけの加害を与える人の生に対して、私たちもまた、真っ向から向き合わなきゃならないのだろうか? とすると、私たちは全くもって、死すべき存在だろうか? いずれ死ぬ、ということにおいて、もっと早く死ぬべき、ということになってしまうのか?

人を苦しめる、というのは、相手に「もっと早く死ぬべき」と思わせる力のことだ。そして、それを対照的になすことでしか、反撃があり得ない、と思わせることだ。

だからこそ、そうして忘却していく……辛抱強く向き合うのではないやり方で、生き延びていく彼ら彼女らの記憶、その時間に対して、私たちは少なからず、非対称的であれ、抗っていかないといけない、と思う。そうして生きていくことに、希望を見出すこと。それがある意味、研究者としてであれ、文学者としてであれ、「書く」ことをなしてみせる立場の、一種の責務だろう。忘れずに、しっかりやりましょう、と『晩年様式集』から言われているような気持ちになる。

セルビアと能登と

こうして考えていると、私がセルビアと、能登という場所から、物事を書こうとしているのに、辻褄があってくるような気がしないでもない。それぞれ別の時間で、別のやり方で始めたことだけれど、「書くこと」を通じて、それぞれのやり方を、少なからぬ非対称性とともに、縫い合わせている。