帰る前に
「怒る、ということが発生するとき、単に怒っている、ということと、あなたをコントロールしようとして怒っていることを見分けられるようになったほうがいい」、と言われた。「その区別がついていない脅え方をたまにするから」と。偶発的なものに出会ったときのことを考えたほうがいい、とも言い直していた。
考えてみれば、この数年間で私が受けた怒りや、暴力、妬みや執拗な攻撃は、単に偶発的なものであるというより、「おまえが代わりに〇〇を差し出せば、この怒りを解いてやる」というタイプの、破壊的互酬性を伴う怒りであった、と思う。その危険性を十分にわかっていながら、それだけの傷を与える相手から、こちらも何かを奪い取らなければ、と思っていた。その奪取のためには、それなりに奥深くに潜り込む必要があった。十分に、相手の立場をひっくり返せるだけのネットワークをつかむのは、そう簡単ではないことだった。
その反応系のなかで、自分の立場を(一時的に)正当化することのみならず、その正当化がつねに一時的で、必ず自分自身で否定され直さなければいけない、というのは、想像以上の作業を伴う。正しくない、と理解しながら、その作業を遂行するのは、部分的にであればまだしも(そしてオープンで記録され続けている環境ならまだしも)、全体的かつ秘匿的に行われるとき、ほとんど分裂症的な離人感が現れる。そして、怒鳴られ、罵倒され、否定され、その代わりに私が何かを差し出す。ひとの認知機能を狂わせるには十分な出来事だった。
PTSDの発症リスク
PTSDの発症リスクは、外傷体験の種類によって大きく異なるとされている。自然災害の場合、一般住民を対象にした調査ではPTSDまたはPTSD症状の割合はおおむね数%から10%前後に収まることが多いが、直接被災者や避難者など曝露の強い集団では30〜40%程度まで上昇する1。
殺人を目撃した者、殺人未遂・暴力被害の生存者、あるいは殺人被害者の遺族など、殺人被害者遺族を対象とした研究では、PTSD関連症状が高率に報告される一方で、PTSD診断そのものの割合は、対象集団や診断基準によって変動する2。一方で、性暴力、とくにレイプは、PTSDリスクが最も高い外傷体験の一つである。全米併存症調査(National Comorbidity Survey)では、レイプを最も重大な外傷体験として報告した場合のPTSDの条件付きリスクは、女性で45.9%、男性で65.0%と推定されている3(レイプ・性的暴行・虐待のそれぞれのケースを区別する必要は無論、残っているが)。
他方で、そもそもの発症リスクそれ自体を単一のケースとして捉えることに、疑義は残る。PTSDリスクを外傷体験の類型ごとに比較する身振りは、自然災害、対人暴力、性暴力などの出来事カテゴリーごとに条件付きリスクを示す点では有用だろう。しかし、その枠組みは、PTSDを単一の「原因出来事」によって説明できるかのように見せてしまう危険を持つ。実際には、複数の外傷経験をもつ当事者において、症状は一つのindex traumaに還元されるとは限らない。
端的にいえば、複数の外傷経験が単に「量」として積み重なるだけではなく、認知的なリンクを形成しうること、つまりある出来事の意味づけが別の出来事の症状や記憶処理に結びつく可能性3を十分に考慮しなければならない。
こうした複合的な記憶とトラウマ形成は、むしろ記憶喪失的な状態を呼び覚ます。記憶は、物語にならない。
回復は、壊れた時間の連続性を、日常の反復によって編み直すことに近い。トラウマ回復について語るとき、「話すこと」、物語化による回復が過大評価されがちであるが(それは小説論的にも)、しかし、複合的なトラウマでは、当事者はそもそも何を語ればよいのか分からない場合がほとんどだろう。紛争の話をしているときに、性被害の身体的な記憶が呼び覚まされる。性被害の話をしようとすると、避難所の匂いや揺れが蘇る。あるいは、何も思い出せない、など。
こうした当事者のそばにいるとき、「これだけそばにいても信用されていない」と不信に陥ることは、いわゆる教科書的なテキストでもよく報告されていることである。例えば逆転位[countertransference]、代理受傷[vicarioustraumatization]などがそうだ。
日常を編み直す
当事者が経験する脅え、吃音的な困難さ……。それらに向き合いながら、日常が安全で、守られていて、清潔で、手が行き届いている、ということを確認し直すのは、それ単体を粛々と遂行することができる限りにおいて、だ。ほとんどの場合、日常はそうやすやすと進むものではない。複合的PTSDの場合、本人にもフラッシュバックのトリガーを把握できないことが多い。何気ない不平不満や、偶発性に満ちた感情や、身体のさまざまな揺れ動きのなかで、目覚めようとする恐怖を(無意識的にであれ)抑えようとすればするほど、日常はままならないものになる。
隣にいるひとや、家族や、友人たちを傷つけていいわけではない。けれど、身体は震え、恐怖に陥り、神経質なからだが安全さを求めて、周囲をテストする。身体が関係に対して、試練を与えようとする。この身体のなやみを、苦悩を、震えをそのままに伝播させ、なおも残る関係に縋ろうとする。なやまれた思考は安全さを把握できず、震える身体を止めることのできる何かを求めたがる。
DREAM COME TRUEの「しあわせなからだ」という曲がある。
Oh 抱いて 揺らして 溶かして 悟って 目覚めて 泣いて 印して 掴んで 祈って 求めて 迫って 吠えて 壊して 燃やして 崩れて 浸って 繋いで 癒して 流れて 落ちて 咬んで 許して やいやいやいやいや しあわせな やいやいやいやいや からだから やいやいやいやいや あなたへの愛があふれる
この「しあわせ」さ、と、「くるしさ」はほとんど表裏一体だ、と思う。苦しむ身体が吠えたり壊したり燃やしたり、あるいは許したり笑ったり泣いたりする全てのうごめきは、生き残ろうとする身体の、思考に対するある種の復讐でさえある。しあわせなからだが知っているのは、同じような震えをしていたくるしいからだにおいて、反応と思考と、感情とが別のつながりかたをしているに過ぎない、ということだろう。感情は思考に対する反応でしかない、ということだ。
Footnotes
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Neria, Y., Nandi, A., & Galea, S. (2008). Post-traumatic stress disorder following disasters: A systematic review. Psychological Medicine, 38(4), 467–480. https://doi.org/10.1017/S0033291707001353 ↩
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Amick-McMullan, A., Kilpatrick, D. G., & Veronen, L. J. (1989). Family survivors of homicide victims: Theoretical perspectives and an exploratory study. Journal of Traumatic Stress, 2(1), 21–35. https://doi.org/10.1007/BF00975764 ↩
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Kube, T., Elssner, A. C., & Herzog, P. (2023). The relationship between multiple traumatic events and the severity of posttraumatic stress disorder symptoms: Evidence for a cognitive link. European Journal of Psychotraumatology, 14(1), 2165025. https://doi.org/10.1080/20008066.2023.2165025 ↩ ↩2