Enlighted things in a way to home

2024年2月1日〜2月18日


小型飛行機が平然と通過する。記憶の帯を消す/丈の高い灯台草の下を。ぼくは新しい人生を前にしている。生き返ることは、誰にでもできるわけではない。

(Dany Laferriére, 2009)

Le petit avion passe sans sourciller/sous le grand sablier/qui efface le ruban de la mémoire. Me voilà devant une vie neuve. Il n’est pas donné à tout le monde de renaître.


私にとって初めてのキュラトリアルな試みは、2019年のことでした。そのプロジェクトを通じて、私はあるアーティストから「キュレーターは一度死んで、それから戻ってこなければならない」と教わりました。

「戻ってくる」征途は、〈作品のなかに潜り込みながら、その過程を知り、わたしと共にある他者のなかでおのれを再び引き剥がす行為〉と呼べるでしょう。作家=作品=ギャラリー=コレクター=さまざまなアクター……のあいだで、すべてに引き裂かれながら、なおも説明しようとするみち。その只中で傷を受けて、そして死に絶えながら、回復させる[cure]そのみちこそが、キュレーション[curation]なのです。主体性をばらばらに組み直し、展示室そのものを複数の顔をもつ多頭の、裂開の、もう二度と生き直さないゾンビのような主体感覚として蘇らせるのです。

この限りで、キュレーターは展示そのものの分娩室で、その蘇りのラザロの再出産に立ち会う、強欲で、強権的な、そして、もっとも傷つきやすい平凡な立会人なのです。そこで互いを思い知り、孤独のなかでともにうめき声をあげ、ぎりぎりの、やっとどうにかの、よたよたの縁取りで言葉を発するのです。

わかりやすく伝えることの此岸で、混迷した存在を、ぎりぎりの言語で伝える詩学を考えたいのです。


展示タイトルにある「帰路」は、キュレーターである私自身がこれまで経験してきた——両親の送り迎え、往復5時間かけて病棟へと通った毎週の記憶、高速道路のテールランプの連なり、言語獲得のプロセスを通じた社会への開かれ——を象徴しています。

私は先天性の両耳重度難聴を有する障害者ですが、その経緯や経験を現代アートのキュレーションという立場に還元することを、意図的に遠ざけていました。「別の仕方で、言語を使い、別のやり方で、思い知りたい」という考えゆえでした。

ですが、22歳になり(執筆当時)、文学理論や現代アート、文化人類学、脱構築的な思想の研究を進めていくにあたり、言語と私の関係——母[母国語]と私の関係——が理論的な水準で、退っ引きならないところに差し迫って来るようになりました。ついには、私自身の自己紹介ができなくなるところにまで、理論的吃音は迫りました。それはとりも直さず、翻訳の問題です。言語の意味論的水準と、記号論的水準での同一性を担保する、まごうことなき私自身が、此岸と彼岸のかなたで崩れ去り(崩れ損ね/崩れ損なわれ)、凍りついて(凍りつき損ねて/凍りつき損なわれて)いるのです。だからこうやって……言葉だけはよどみなく……。

この記憶と、展示を重ね合わせることは、危険なことでした。キュレーター自身の自省と、各作品が把持している記憶の集積を、ある種の並走として展開することには、権力的なリスクが伴います。応答されるべき責任が不均衡なかたちで相互移植されるなかで、物語を紡ぎ出すことはしかし、同時に、着実な回復[cure]のみちのりでもあるように思われます。

2000年代に生まれ、そして2020年代のアートシーンを駆け抜ける私が芸術において直面するのは、ポスト=インターネットという状況のみならず、ホワイトキューブ誕生(1929)から約一世紀、ということです。それは単なる時代の区切りであるのみならず、ヨーロッパ・アメリカから翻訳されそこなった「キュレーション[curation]」の実効性を、そして難聴によってつねに翻訳されそこなう日本語を話す私にとって、「言語」の実効性を問い直す契機でもあるのです。

2005年ごろの話をしましょう。そのころの私は言語訓練のために毎週火曜日、往復5時間をかけて病院に通っていました。後部座席特有の、保護と空虚さが混じった眠気のうえを高速道路のランプが複条に過ぎ去っていきました。

ひとりで、おのれの進む夜道を照らしながら、わずか先に起こりうるあらゆる可能性へと注意を向け、あるいは同時に、その注意の持続に飽き、コーヒーの匂いが充満する車内で、漫然と音楽を聞き流す。注意を促す黄色信号の点滅、車線変更を繰り返し、ひとりで走り、合流し、SAで見知らぬ人たちと憩い、そしてまたおのれの道へと車を走らせていく。

すでに舗装されたその道において、注意と散漫の繰り返しのなかで見つめること。この過程で、芸術はなんの傷跡/痕跡を残すのでしょうか? そしてキュレーションはなにを、どのように、回復させるのでしょうか? 出立の、傷を受けるまえに傷を受けたその記憶(のない記憶)に、どう応答すればよいのでしょうか? DNA単位での傷へ? あるいはもっと先で、人工補綴器官が完成したとして、いつか聴力を得るかもしれない私へ?

それは現代アートが有する〈新しさそのものへの応答〉という星座と重なります。その意味で、高速道路的な知覚に……絶え間ない、新しさのない新しさへ、どう応え[response]、責任をとるのか[responsibility]。記憶のない記憶へ、その注意へ、合流と離散の絶え間ない応酬へ、応えるすべを、聞こえない器官からひらいていくのです。

その走路で、私たちはひと自身の権力性に自覚的なまま、操舵者の責任とが多重露光される空間に、ひとりで、ひとりとともに、立ちすくむのです。ウィンカー、ハザードランプ、高速道路を並走するその合流の、かすかな相互感応のように、展示をひらくこと。同乗者がぽつぽつと語り出す記憶。まるきり異なる複数の自省録を、多頭でひとつの主体感覚がおもむろに語りだす、その空間を……。


1FではLily Spacey+添田奈那による共作プロジェクト、クリストス・マヴロディス[Christos Mavrodis]による短編映像作品を展示しています。また、袁方洲、田中小太郎による新作群を2Fにて展示しています。3Fではペロンミ、ほか複数の作品群を取り合わせながら、キュラトリアルな場として編み上げています。

言語なき言語へ、顔を知らない愛へむかって、ヨーロッパ的・アメリカ的でない——人間[man/l’homme]的でない——言葉から、curationをひらいていくこと。そのまず最初の、なんとかどうにか、立っているのか倒れているのか、その寄る辺ない、かろうじての、この声で、この展示場[傷]をひらきます。