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伊藤道史「私であることの試み/CONATUS」

Year 2022
Date 2022年10月22日 – 2022年11月13日
Venue NEORT++
City Tokyo
Type curated
Role curator
Artists 伊藤道史
伊藤道史「私であることの試み/CONATUS」 — cover

NEORT++(日本橋馬喰町)で開催した伊藤道史の個展。ALSを患う岡部氏へのインタビューをもとにしたVRドキュメンタリー作品《コナトゥスの目つきで》と、VR睡眠をめぐる映像作品《Times in Times》を中心に、病・発話・身体・生命倫理をVRというニューメディアで再編する試みをキュレーションした。

会期は2022年10月22日〜11月13日、会場は東京都中央区日本橋馬喰町のNEORT++(maruka 3F)。開館時間は14:00〜19:00、休館日は月曜・火曜・祝日。観覧無料、VR体験は事前予約推奨だが予約なしでも可とされた。協力は特定非営利活動法人 境を越えて、東京藝術大学大学院映像研究科。

作家の伊藤道史は、VRなどを用いた映像・インスタレーションを制作するアーティストで、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。宗教や病理のリサーチ、VRが生むバーチャルなイメージとの比較を通じて、生命倫理、別様の身体、「わたし/わたしたち」のあり方を考えてきた。先行作品には、鑑賞者がハンモック状の筐体上で全身を捻らせ、ミミズや魚など人間以前/人間以後の身体を生きるVR《クロールする蛹のためのレクチャー》(2021)、アステカの皮剥ぎの儀礼をリサーチし、アバター=Skinを着て生きるVR世界を思索した《XipeTotec Reality》がある。本展は、伊藤の関心が、神話的・宗教的身体やSkin的身体から、病・発話・ドキュメンタリー・他者の時間へ移行した展示として位置づけられる。

展示の中心テーマは、VRというニューメディアを通じて〈身体=映像=ドキュメンタリー〉に新たな位相を与えることだった。映像を固定された矩形の画面としてではなく、VR空間上で形・位置・回転・スケールを変えられるオブジェクトとして扱い、記録された切実な問題を身体・知覚・体験の問題と絡み合わせて配置する構成が試みられた。

タイトルの「コナトゥス/CONATUS」は、事物が本来持つ「生存しつづける努力」「生きる意思」を意味する語として用いられている。展示では、これを単純な生命力の肯定としてではなく、病を持つ身体、VR上の身体、映像として残る身体、発話できる時間が限られた身体、眠る身体、見る身体それぞれが「私であり続けようとする」力として再定義しようとした。制作にあたっては、カトリーヌ・マラブーの「可塑性」——別の在り方がありえたかもしれない主体の可能性——も参照されている。

中核作品《コナトゥスの目つきで》は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う岡部氏へのインタビューから生まれた時間を、VRでどのようにドキュメント可能かを検討した作品。岡部氏は文字盤などを用い、1日に数時間ほど言葉を発することができる人物として記録されている。映像やテキストを形・位置・回転・スケールが可変なオブジェクトとして配置することで、デバイスに矯正された視覚や時間感覚の解体が試みられた。もう一点の《Times in Times》は、VR睡眠を行うバーチャルワールドの人々の対話や回想をめぐる3DCG映像作品で、プロジェクターとともに販売され、購入者が漏洩する光とともに自由にインストールできる作品として説明されている。

会期中、映像作品はVRを通じて上映され、鑑賞者は会場に設置されたベッドに横たわり、VRヘッドセットを装着して作品を体験した。立って観る中立的な視覚主体ではなく、横たわり、装着し、視界を覆われ、身体の自由を一部停止された状態に鑑賞者自身を置くこの構成は、病床・睡眠・VR・インタビュー・ドキュメンタリーが重なり合う身体配置の展示であったことを示している。同時に、病を持つ他者の切実な言葉や身体をニューメディアの実験材料にしてしまう危険も意識されており、記録された切実な問題を「滲みや鮮度を失うことなく」身体・知覚・体験の問題と絡み合わせる、というステートメントの言葉には、その緊張への自覚がうかがえる。

キュレーションは waxogawa。NEORT++という会場は、デジタルアートとオンライン・オフラインを横断する体験を志向する場であり、作品をオンラインで公開・販売しつつ、物理空間にはベッドとVR体験を配置するという本展の構造とよく合致していた。

waxogawaのキュレーション史において、本展は「( … )³ / cubed of conjunction」(2022年7月)と「kɯ̟ᵝzɨᵝɾe̞^崩れ」(2023年1月)のあいだに位置する個展キュレーションであり、発話の条件、視覚的伝達、言葉の時間、身体の制約、他者の存在をどう展示するかという主題において、後の「崩れ」における声と顔貌性、「帰路にまざまざと知る」における言語訓練と翻訳の問題系に深く連続している。