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おもはゆいふかみ abyss-visage

Year 2024
Date 2024年10月12日 – 2024年11月11日
Venue ギャラリー無量
City Tonami
Type curated
Role curator
Artists 田中小太郎, 山﨑結以, Marco Rossetti

富山県砺波市の古民家ギャラリー、ギャラリー無量での企画展。ギャラリー無量キュレーション公募2024採択企画。東京中心主義的な現代アートの趨勢に対し、富山・日本海側の地政学的な風景と、白壁・畳・仏間・神棚が混在する会場の支持体から、「顔のおぼろげな形象」を再考した。

会期は2024年10月12日〜11月11日、会場は富山県砺波市庄川町示野233のギャラリー無量。鑑賞料は500円。会場は散居村風景のなかにある古民家を改装したアートスペースで、屋敷林に囲まれ、内部には古い梁や柱など伝統工法の躯体が残されている。2013年のオープン以降、県内外の新進アーティストの実験的な取り組みを紹介し、近年は外部キュレーターによる企画展も開催してきた。本展は、その「キュレーション公募」第3回目の採択企画であり、審査員は尺戸智佳子、長谷川新、松江李穂、鷲田めるろの4名。キュレーターは小川楽生/waxogawa、参加作家は田中小太郎、山﨑結以、Marco Rossettiの3名。

企画の足がかりは二つある。ひとつは、東京中心主義的に見える現代アートの趨勢に対して、富山・日本海側の「田舎」的な風景や地政学的な状況がどう機能するのかという問い。もうひとつは、ギャラリー無量内部の白壁、畳のある部屋、仏間と神棚、ギャラリースペースが混在する“雑食的な支持体”から、どのような展示が立ち上がるのかという問いである。地方で展示すること自体ではなく、東京中心のアート制度・マーケット・言説の外部に見える場所を、どのように同時代的な展示空間として作動させるかが焦点とされた。

ステートメントの中心的な補助線が「ガソリンスタンド」である。東京と富山、田舎的風景とホワイトキューブをつなぐものを「移動」に関わる概念として捉え、距離を測定可能なモードへ切り替えるものはエンジンであり、ガソリンである、と説明される。ガソリンスタンドは、東京と富山を接続するインフラであると同時に、日本海側・郊外・田舎のロードサイド性を示す記号であり、遠さを「走行可能な距離」へ変換する装置であり、異なる作家・場所・文化的支持体を一時的に給油/接続する展示の比喩であり、さらには「ガソリンスタンドの声」という非人間的・インフラ的な呼びかけそのものでもある。本展の「移動」は、ロマンティックな旅ではなく、インフラ、燃料、車、山脈、ロードサイド、地方性を含む物質的な移動として扱われている。

タイトル「おもはゆいふかみ/abyss-visage」は、「面映ゆい」が持つ顔を合わせる気恥ずかしさ・照れ・まぶしさと、「深み/abyss」が想起させる深淵、そして “visage”(顔・顔貌)を重ねたものと読める。ここでの「顔」は単独の肖像ではなく、分裂し、多頭化し、くたびれ、組み替えられた人間的形象の問題であり、「顔のおぼろげな形象」を、ガソリンスタンドの声を聴きながら探りなおす展示として構想されている。

田中小太郎(2001年生、東京藝術大学音楽学部卒)は、物質の内部で生まれる残響音を扱った立体表現を手がける作家で、横浜市民ギャラリー「漂流祝祭日」(2023年)にも参加し、金属板・ワイヤー・モーターによる振動・音響的な作品を出品している。本展でも、物質・振動・残響を通じて非人間的な声を立ち上げる役割を担ったと考えられる。山﨑結以(2023年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻日本画修了)は、仏像や天井画の文化財復元に携わった経験を背景に、古典技法を用いた日本画で個と集団の距離感、群像表現に取り組む作家であり、ギャラリー無量内部の仏間・神棚という宗教的空間と響き合う。イタリア・カンパニア州生まれ、フィレンツェ地域を拠点とする Marco Rossetti は、写真を主なメディウムに、感覚的な錯覚、アーカイブ化、歴史的記憶、イメージの変容・分解・再解釈を扱う作家で、本展に西洋/東洋という軸のズレを持ち込んでいる。

3名の作家がそれぞれ音響的立体、日本画・群像、写真・記憶という異なる形式を持ち込むことで、本展はホワイトキューブの白壁だけでなく、畳、仏間、神棚、梁、柱、屋敷林、散居村風景、ロードサイド的な移動感覚そのものを展示の構成要素として用いるキュレーションとなった。

waxogawaのキュレーション史において、本展は「帰路にまざまざと知る」(2024年2月)における高速道路的な知覚を、富山・砺波・古民家・ガソリンスタンドへ拡張した展示であり、また「漂流祝祭日」(2023年)における東京中心からの「漂流」を、横浜から日本海側へとさらに踏み込んだ地政学的な展開として位置づけられる。さらに「kɯ̟ᵝzɨᵝɾe̞^崩れ」(2023年)以来の顔貌性の問題を、地方性・宗教的空間・群像・写真・残響音のなかに再配置した展示としても連続している。